日本人写真家の半年のデモ記録 「真実を日本に伝えたい」

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日本人写真家の半年のデモ記録 「真実を日本に伝えたい」 IMG 3042

いつもデモ現場にいる、キセキという日本写真家は爽やかなショート金髪で、催涙ガスの中でも目立つ存在。
キセキは、いつもLive写真みたいにデモ隊の写真を撮り、カメラボディ二台で連写しながら携帯も使って撮影している。
現場が、少し落ち付いたら、一生懸命、英語でデモ参加者の気持ちを聞いている。常に記録しながらより多く物を記録し、「もっと知りたい」とキセキは、言う。
キセキミチコは、十年以上コマーシャルカメラマンとしてやっていた。香港で育った彼女は子供の記憶や風景を見つけ出すために香港の古い景色を撮りたいと思ったけど、7月から香港は戦場みたいになってしまった。プランチェンジした彼女はデモ現場を記録して無償で日本に送っていた。
12月、彼女は渋谷で「#まずは知るだけでいい展」を開催。
記者:関震海 (カンシンカイ)

KISEKI MICHIKO作品。

逮捕された若者の無力感、警察の過暴力、香港人の気持ちを全部記録して東京で展示した。
「私も見たくないものに、蓋をして生きる人であったかもしれないが、香港のことをまずは知るだけでいいと思う。」
「你好,我是Michiko 。(広東語の挨拶)」キセキの広東語は良くないけど必死に自己紹介する。キセキは奇跡の発音と一緒なので記者(かんしんかいさん)は「奇跡」と彼女のことを呼ぶことが好きだ。無事に現場で会った時、彼女を呼ぶ時は「奇跡、大丈夫?奇跡!大丈夫!」
キセキは他の記者より冷静である。
警察はどんな凶暴的な口調を使ったとしても、彼女は平気でいる。彼らが何を言っているかわからないが、数枚撮ったらカメラを一旦止める、カメラは侵略的だと思う。
記録者の視点より、歴史の再構成にも影響がある、キセキは正直、香港の若者からの影響が深いと認めた:「必死で戦う香港の若者達は、同世代の日本人と一緒。でも勉強や遊ぶべきはずなのに、こんな未来のために必死で戦っている。」キセキは警察の暖かい行動も撮ったけど、警察との距離を取り続けているので全面をカバーできない彼女は不足を感じた。
冷静な彼女が何ヶ月以上にもわたり戦場で記録させたのは、ある写真により爆発させる。「8/31、ワンチャイで警察がとあるデモ隊を逮捕する時,その子が私の腕を強く握りしめ、『助けて』と叫んだのに、私は何もできなかった。ただ私の目の前で警察が警棒で彼を殴った。」この事件を言及すると無力だった彼女は、涙が止まらなかった。

KISEKI MICHIKOの作品(2019年)

「広東語がわからないため、名前も、IDも聞けずに私は無力でした。」記録者である彼女はよく記者の無力さを感じた。カメラの威力は真実を記録する力だからこそ、手を出せないことは当たり前でした。キセキはちょっと落ち着いた。「確かに今の香港には、広東語を喋る。でも無力でしょう?」彼女は微笑んで聞いた。
「だよね。」
半年以上、デモを記録していたことは彼女の予想外でした。彼女は大学で写真芸術を勉強し、流れに乗るみたいコンサートカメラマンになった。この数年間彼女の人間関係は大きく変わったので、人生の転換として彼女は旅出した、昔歩いた道を辿って自分を見つけ出す。去年、香港に訪れて彼女はシャッター押す衝動を感じた。
「香港の古い街は混雑している。努力して暮らす人たちから元気をもらった。」父親の職業により、子供だったキセキは香港で三年間在住した。ジャディンヒルで住んでいたとき、上も下も日本のデパートがあった。その時のコースウェイベイの記憶がまだ残っている。その時商売の屋台とかゴミがいっぱいあった。去年また香港にきたキセキは「何でこんな綺麗になったの?」と疑問があった。彼女は2019年に仕事を休んで、そして香港の消え続けるストリートカルチャーを記録することを決めた。


7/5から香港に来て、キセキはこの香港はもう去年の香港じゃなかったと感じた。彼女は徐々にデモ現場に行って、記録を始めた。7月8月くらい、日本のメデイアはただ逃亡犯条例に注目しただけで、しかし現場に行った彼女は、香港人の怒りはただ条例のせいだけじゃなく、自由を無くなってしまうのだ。
キセキは報道の人脈がないため、雑誌に投稿したけど1ページしか掲載されなかったり、記事の内容も多くを割愛された。「メデイアの内容は逃亡犯条例とデモは激烈化する。しかないため、メディアに頼りないと思った。だから私は友達に助けを求め、この香港の真実を日本へ送った。」
夏から冬までデモを記録して、キセキはやっていなかった事ををたくさんやった。ツイーターとインスタグラムをオープンし、幼なじみに頼んでネットで拡散した、その間元NHKの堀潤氏と知り合い、キセキが撮った動画や写真を堀潤氏のチャンネルに放送していた。彼らは努力をして、伝統日本のメディアの壁を乗り越えて、これから香港の真実をつたえる。

6月から、日本のSTAND WITH HONG KONGマーチは数回開催したけど、国外にいるキセキは、大勢の日本人は香港の局面を知らないをフリしながら寝るだけなのだ。「日本人の『事なかれ主義』は、いつも蓋をして見たくないものから逃げる。幸せにして暮らしたいから、嫌なものを見ないで、巻き込まれると気持ちは悪くなる。嫌な記憶を欲しくないから、見えなかったとフリをしているけど、日本でもこんなことを発生する可能性もある。」
キセキは写真をはじめ、香港の真実を日本まで伝える。それにより、日本人は逃亡犯条例だけじゃなく、キャリーラムが辞めるかでも無く、隣の国のいろんな自由の状況も知り尽くすべきなのだ。

KISEKI MICHIKOの作品(2019年)

この半年の中で、キセキはより多く英語を勉強したけど、9音調の広東語をのりこえられなくて、よく「光復香港」を「歌復香港」と発音する。彼女はこの半年は写真と自由の勉強だと思う「自由こそ選択するか、選択しないかの両方の権利をもっている。この運動の最後はどう終わるのかな?香港人は本気でこの両方の権利を手に入れたい。しかし、その選択肢、日本人には本当にもっているのかを、香港に来た私は疑った。
「光復香港」は未成功のまま、キセキは自分の人生に光復した、人生の意味を問いながら旅を始めた。半年の間に無職で香港を記録して、お金が無くなってしまうため来年2月は一旦仕事を再開して日本に戻る。でも彼女はまだ香港を撮り続けると宣告した「せめて2047年まで撮り続ける。」香港の未来を記録する。彼女が言う日本に戻るのは、また香港に戻るためなんだ。
「キセキ(奇跡)」のカメラマン、約束したんだ。

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